文化財説明板
円勝寺の墓域には石州流茶道の流れをくむ伊佐家代々の墓があ り、墓石に文化5年(1808)11月銘の初代と二代の和歌及び・ 俳句が刻まれています。
出る日も入る日も遠き霊鷲山
またゝくひまに入相のかね
初代 半寸庵知當
後世のたひおもむきたまふ秋の夜の
わかれそむかし今のおもひて
二世 半寸庵知義
極楽や 冬こもりする 阿弥陀堂
二世 半寸庵吟洌
伊佐家は江戸時代の茶人の家柄で、代々幸琢(こうたく)を名乗り、数寄屋頭
を勤めました。初代(1684〜1754)は半々庵と号し、怡渓
宗悦(いけいそうえつ)に石州流茶道を学んで石州流伊佐派の開祖となりました。二代
(1706〜95)は半提庵、三代(?〜1808)は半寸庵と号
しました。
数寄屋頭とは茶道頭とも称した江戸幕府の職制で、若年寄の支配
下にありました。職務は数寄屋坊主を指揮して、御三家や大名など
の茶事を取り扱うことです。伊佐家は数寄屋頭として幕府の茶道を
支配していたので、武家茶道界では大きな勢力を持っていました。
特に三代の門下からは、茶人としても著名な松江藩主の松平不昧
(治郷・1751〜1818)などが輩出しました。
北区教育委員会
中里3−1−1 円勝寺境内
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