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掲載開始日:2017年10月13日

最終更新日:2023年2月1日

尾﨑峰穂さんスペシャルインタビュー

 北区ゆかりのアスリートにインタビューをするこの企画。今回は、パラリンピアンの尾﨑峰穂さんにインタビューしました。尾﨑さんは、1984年ニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックでの走り幅跳び金メダルを皮切りに、1988年ソウルパラリンピック走り幅跳び、及び三段跳びでの金メダル、1992年バルセロナパラリンピック走り幅跳び金メダル、1996年アトランタパラリンピックやり投げ金メダル等、数々の実績を残され、パラリンピックに7大会連続で出場されました。この日のインタビューでは、パラリンピックのことや尾﨑さんのプライベートなどについてもお話しいただきました。

尾﨑峰穂インタビュー1
尾﨑さんは、十条台にある東京都障害者総合スポーツセンターを拠点に活動していました。
ナイキのCMに出演した経歴もあります。

尾﨑さんのパーソナルな部分について聞きました!

Q 好きな食べ物はなんですか?
A
 まず嫌いなものはないかな。好きなものは、刺身系統かな…あとエビチリ、焼き肉。
-ちなみにお酒は、好きですか?
 好き。バルセロナのときだったかな…選手村では本当は飲んじゃいけないんだけど、みんなどこかからビールを調達してきてました(笑)。アスリートは、みんな結構飲むんですよね。でもその分、それを消費するような運動をしますけどね。

Q 自分を動物に例えるとなんですか?
A
 そういうの難しいね(笑)。ちょこちょこ飛び回っているから猿かな。小さいときは、橋の欄干を歩いたりしてたから、「捕まえないと川に落っこちちゃうよ」と周りの人から言われてました。

Q 尊敬している人はいますか?
A
 尊敬している人…誰かの真似じゃなく、自分で考えて、やってきたんで特にいないかな。

Q 座右の銘はなんですか?
A
 「始めの一歩」っていつも考えてます。何かやりたくても、一歩が始まらないと進まない。例えば練習に行くのがいやだなと思っても、鞄もって運動靴履いたら「練習に行こう」という気持ちになるけど、何もしないと時間だけが過ぎてしまうので、最初の一歩は強制と決めています。

Q 北区でよく行くスポットはどこですか?
A
 北区立中央公園は、1周650mのコースがあって、よく伴走してもらって軽くジョギングしています。今は少なくなったけど、前は週に2、3回行ってました。

尾﨑峰穂インタビュー2
学生からのインタビューに対して、やさしく答えてくれました。

 陸上競技は、自己記録更新が数字でわかるのが面白い

Q 陸上競技を始めたきっかけはなんですか?
A
 19歳で目が見えなくなって、それまではバレーボールをやっていたんだけど、ボールが見えないとできない。それで盲学校で、目が見えない人のバレーボールはあるのか聞いてみたら、あるにはあったんだけど、ネットの下を転がすバレーボールで、これは今までのバレーボールとは、違うかなって思ったんだ。そこで、「立ち幅跳び」とか「ソフトボール投げ」とかなら自分一人でできるな、あまり怖くないなと思って、東京都大会に出て優勝したのが始まりかな。目が見えないから怖かったけど、担任の先生に「危なくないし、できるよ」と言われ、出場したら2種目とも優勝しました。そのあと国体で、同じ2種目を日本新で優勝して、そのまま1984年ニューヨーク・アイレスベリーパラリンピックに選ばれたんだ。ただ、「立ち幅跳び」と「ソフトボール投げ」が競技種目じゃなかった。似ている種目として、「走り幅跳び」か「やり投げ」しかなかったから、「これは難しいな」と思ったんだけど、練習をして、ビリでもいいから出場しようと思ったんだ。それで立ち幅跳びの踏み切りから1歩下がって助走をつけて飛んでみたら記録が40cmくらい伸びた。ただ、それを6歩、7歩と伸ばすと、今度は砂場の外に出てしまって、怖い思いもしたんだ。そこで、人に音を出してもらうとか工夫して、徐々に走り幅跳びに変わっていったの。そのあと、11歩まで下がって走れるようになって、その時は5m70cmくらい飛べたんだけど、当時は、インターネットもないから、自分がどのくらいレベルなのかわからなかった。でも大会に参加したら6m48cm飛んで、当時の世界新記録で金メダルがとれた。それが、不可能が可能になった瞬間だった。そこから、「まず、とことんやってみなければ自分のものにならない、そこまでやってからダメだと判断する」ということを覚えた。

Q 陸上競技の魅力はなんですか? 
A
 数字。団体種目は、誰がどのくらい活躍したかわかりづらいけど、個人種目は、前の記録との違いが明らかにわかるし、一人で何種目も出場できる。最初のパラリンピックは「100m」「走り幅跳び」「三段跳び」「やり投げ」「円盤投げ」の5種目に出場し、金、銀、銅、4位、9位だった。やっぱり自己記録更新が数字でわかるのが面白いね。

Q 陸上競技をしていてよかったこと、つらかったことはなんですか?
A
 目が見えないので、フォームを教えられても簡単に理解できないから、大変。やり投げとかは、今まで画像を見たことがなかったから、かなり苦しかった。あとスランプのときが辛かったかな。そのときは、スランプを走り幅跳びでいうジャンプの前の沈み込むときと同じと考えて、「伸びあがる前の充電期間」だと思って練習に励むことで、もっと上に行けると考えられるようになったかな。それを乗り越えたときが、よかったときだと思う。

ドーピング検査が印象的だった

Q 印象に残っているパラリンピックは、いつですか?
A
 1個目の金メダルが印象に残っています。バルセロナパラリンピックは、どの選手にも大きな声援を送ってくれて、スペインは面白い国だなと思いました。あと、全体を通してドーピング検査かな。「表彰される人は来てください」と事務所に呼ばれて、紙コップを渡されたんだけど、2畳くらいのスペースで採尿の一部始終を覗き込まれるの。それまでは、「ドーピング検査のとき、違反しているなら他の人の尿をそっと入れてしまえばいいのに」と思ってたんだけど、実際に体験してみると、「こういうことだったのか」と驚いた。そのときは、周りがスペイン語で何を話しているかわからないから、「違反しているんじゃないの?」って言われてる気がして、余計に緊張したのを覚えている。

Q 東京2020大会に出場しそうなパラリンピアンで、注目している人はいますか?
A
 選手個人で、誰かをあげるのは難しいな。B1クラスの人が東京パラリンピックで、どんな記録を出すか気になりますね。あと心残りなのが、競技人口が少ないという理由で、2012年のロンドンパラリンピックからB1クラスのやり投げがなくなってしまったこと。標準記録は超えていたので残念だった。
※「B1」…全盲のクラス。パラリンピック種目は障害の程度によって、クラス分けがなされている。障害の程度が軽くなるにつれて、数字は大きくなる。

尾崎3
磁石がついているオセロについて、動きを交えながら、丁寧に教えてくれる尾﨑さん。

パラリンピックを会場で観てほしい

Q 尾﨑さんにとって、パラリンピックとはなんですか?
A
 4年に1度のアピールできる場なので、どのくらい結果が出せるか楽しみだった。7大会分の期間ずっと活動していたから、みんな簡単に「4かける7で活動は28年間」というけど、最初の大会の前も練習してたから実際は30何年もやってきた。種目がなくなったからやめてしまったけど、次はどんな記録が出るか常に楽しみながらやっていた。実際にやり投げは、2004年ソウルのときには銅メダル、2008年北京は6位だったけど、記録自体は北京の方がよかった。

Q 4年に1回でピークを合わせるのは大変ですか?
A
 仕事の日程を合わせるのが大変。仕事場では、管理する地位に立っていたから、普段から「あまり休むな」と部下に指導していたんだけど、大会のために3週間も休むと、ほかの職員が言うことを聞かなくなってしまう。なので、運動を続けるには仕事を辞めなきゃいけないな、メダルをとるためには、とことんやらなくちゃいけないなと思った。だから、仕事との両立が大変だったかな。やっぱり稼がなくちゃいけないからね。今はナイキとファイテンと明治乳業が、スポンサーなんだけど、資金の支援ではなく物のサポートなので。

Q 東京2020大会が行われることについて、どう思いますか?
A
 まず、会場に観に行ってほしい。あと、競技や障害のクラスについて、前もって周知してほしい。そうじゃないと、たとえば、あるクラスの視覚障害の競技のあと、別のクラスの視覚障害の競技をやった場合、前提知識がないと、「さっき視覚障害の競技をやってなかった?」と、観客に勘違いされてしまうので。 

オセロで頭脳オリンピックにも出場

Q 陸上競技以外で好きなものはなんですか? 
A
 オセロが好きです。マインドスポーツオリンピアードって言って、頭脳オリンピックって言われてるんだけど、健常者も含めた大会で、世界4位になったの。あと、点字郵便は無料なんです。だから、日常の出来事と一緒に、オセロの指し手の点字も入れて郵送して、全国の人と文通しながら1年間かけてオセロの対戦をしたりしてるの。  

Q 今もオセロの大会に出ていますか?
A
 たまに出ている。大会は20分の制限があるからオセロを返すのも早くないといけない。
-オセロは磁石になっているのですか?
 盤とオセロが磁石になっています。

子どもたちにメッセージ

Q スポーツ選手になりたい子どもたちにメッセージをお願いします。
A
 何かにつまずいたときの対処の仕方を学んでほしい。つまずいたら、簡単にやめるのではなく、本気でやれば何かが残ると思う。あと、やらされていると思うのではなく、やることに何か意味を見つけることが大切だと思う。

尾崎4
スポーツだけでなく、人生の教訓になるようなお話もたくさんありました。
尾﨑さん、ありがとうございました♪


 インタビュアー:平成29年度”#ときおぱ”メンバー 鈴木晴菜・光田直生

※インタビューは、平成29年8月中旬に行いました。

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