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最終更新日:2016年3月21日
年 | 西暦 | 月日 | 学校のできごと | 当時の様子 |
明治9年 | 1876年 | 7月17日 |
赤羽学校設立認可 設立に至るまで |
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8月12日 |
「東京府第四中学校第十七番小学校」として開校。 校舎は福寿院(ふくじゅいん)をかりる。建坪22.5坪 |
想像図 |
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明治10年 | 1877年 | 3月 | ||
明治13年 | 1880年 | 1月 | ||
明治14年 | 1881年 | |||
明治15年 | 1882年 | 7月18日 |
夏休み取り消し願いが戸長より東京府に提出される 冬休み取り消し願い |
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明治16年 | 1883年 | 1月 |
鉄道路線敷地にかかるため、 なぜ移転したか |
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当時の様子(赤羽八幡古絵図) | ||||
宝幢院(1986年) |
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鉄道の開通 | ||||
明治18年 | 1885年 | 12月 | 小学校令発布。尋常と高等で4年ずつとなる。 学齢6才から14才まで |
赤羽駅の誕生 渡辺知事の学校視察 |
明治20年 | 1887年 | 工兵隊の設置 | ||
明治21年 | 1888年 | 明治21年の学区域 | ||
明治22年 | 1889年 | 3月 | 岩渕町の誕生 | |
7月 | 宝幢院境内で、校舎新築工事開始。 | |||
9月3日 | 落成移転、校舎落成式を挙行。 | |||
明治26年 | 1893年 | 4月 | 神谷に分教場を設ける。増築をする。 | |
明治28年 | 1895年 | 4月 | 高等科併置。(2学年程度) 「赤羽尋常高等小学校」という校名になる。 |
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明治30年 | 1897年 | 11月 | 教室改築。2階造りとした。 高等科が4年程度に改まる。 |
このころ一般の家庭にも電灯がつくようになる。 |
明治33年 | 1900年 | 4月 | 福寿院を仮教場として尋常科の一部教場とする。 赤羽小学校の移転問題 |
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4月4日 | 「岩淵尋常高等小学校」という校名になる。 岩淵尋常高等小学校と改称 |
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6月 | 乗合馬車、旧赤羽駅前から荒川岸の舟橋際まで開通。 | |||
8月20日 | 小学校4年義務制となる。 | |||
明治34年 | 1901年 | 4月 | 稲付分教場を置き、学級組織として学級を置く。 このころ小説「大菩薩峠」の著者、中里介山(弥之助)、教員として本校に勤務。 |
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明治35年 | 1902年 | 3月 | ||
8月9日 | 隅田川などの出水で王子村、岩淵町が浸水被害。 | |||
8月11日 | 洪水により岩淵、王子などに被害。 | |||
12月14日 |
現在地に校舎移転落成。 正岡子規「土筆(つくし)の歌十三首」から |
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明治36年 | 1903年 | 6月4日 | 新校舎が火災で焼失。 | 明治36年の大火 |
明治37年 | 1904年 | 1月 |
新築開校 火災後の新築/現存する最古の校舎写真 第一期国定教科書使用開始。 |
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明治40年 | 1907年 | 3月 | 小学校令改正。尋常科6年義務制、高等科2年となる。 | |
8月26日 | 荒川堤防が決壊。工兵大隊(赤羽)、被害者の救助作業のため出動。岩淵町、王子村の諸工場は、浸水のため休業となる。 | |||
明治41年 | 1908年 | 10月 | 3教室増築。 | 王子村が王子町となる。赤羽火薬庫設置 |
明治42年 | 1909年 | 第二期国定教科書使用開始。 | ||
明治43年 | 1910年 | 荒川の大洪水 | ||
明治45年 | 1912年 |
明治終期の農家の人々の生活 明治末の祭礼 寄合と夜 |
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