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最終更新日:2016年3月21日
※赤羽小学校の校舎が町役場になったことがある。
明治21年になって市制町村制施行(しせいちょうそんせいせこう)の問題が起き、北豊島郡88町村は16町村に分合することになり、22年3月施行されました。当時、神谷、下、赤羽、稲付、袋、岩渕本宿に上十条村を加えた7村が1つになって赤羽村となる予定でした。しかし、上十条村は下十条と共に王子村に合併(がっぺい)を希望して王子町となりました。
赤羽村の名も駅のある点から決められたのですが、岩渕本宿側が反対しました。「岩渕領」という名が古くからあり、岩槻街道(いわつきかいどう)の最初の宿場としての岩渕の名は江戸時代から知られているという主張(しゅちょう)です。さらに、岩渕宿は、江戸時代正保頃から岩渕町といったことがあるというので、村ではなく町として町制をしくべきだということを主張し、岩渕町が誕生しました。
町役場は岩渕本宿682番地におかれ、この土地の政治上(せいじじょう)の中心人物であった小田切重路が初代町長になりました。町役場は翌23年赤羽293番地に移り、36年の大火で宝幢院(ほうどういん)のわきの小学校の旧校舎に移るまでここにありました。
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