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最終更新日:2016年3月21日

大正時代の食生活

 明治時代、人々は、主として麦を多く食べていました。大正になって工場がしだいにでき、他から工員として働く人々が入ってきたため、米を食べる人が多くなりました。当時の記録(北豊島郡誌)によると、米飯は1371戸、麦飯は587戸だったそうです。うつってきた人の多くは、商店として店を開くか、製麻(せいま)会社、その他の民間工場につとめるか、被服廠(ひふくしょう)その他につとめるサラリーマンになったのですから、どうしても旧来(きゅうらい)の農家と食べ物が違います。副食品などに新しい食べ物「ハイカラ」なものを食べる人々がしだいに多くなりました。しかし、大正中頃でも「カレーライス」を食べたことがない人もいたようで、東京市内とは差があったようです。

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