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最終更新日:2016年3月21日

上野庸男先生の話

(大正10年4月~昭和3年3月在職)

uenoyasuosensei 大正10年4月1日、北豊島郡岩淵尋常高等小学校と門札のかかった石門を私は始めてくぐった。
 当時、子供の服装(ふくそう)は縞(しま)か絣(かすり)の木綿(もめん)の着物に袴(はかま)をはき、草履(ぞうり)か下駄(げた)ばき、肩(かた)にズックの鞄(かばん)。洋服や靴(くつ)などは希少価値(きしょうかち)の時代であった。そんな服装では運動に不便であったので、半袖(はんそで)のシャツにパンツという体操着にした。これは新機軸(しんきじく)であった。
 ひと夏、荒川水練場で真黒になった河童達(かっぱたち)が、秋になると、郡対抗(ぐんたいこう)の競技会、運動会等を目ざして放課後の猛練習!!そのとき体をふき、飲んだ井戸の水のうまかったこと・・・。

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