ホーム > 区政情報 > 広報・広聴 > 報道 > プレスリリース > 令和3年11月プレスリリース > 【11月6日】渋沢栄一翁没後90年特別講演会「故渋沢子爵葬儀の実況」開催

ここから本文です。

掲載開始日:2021年11月6日

最終更新日:2021年11月6日

渋沢栄一翁没後90年特別講演会「故渋沢子爵葬儀の実況」開催

 211106-111月6日(土曜日)、北とぴあ2階つつじホール(王子1-11-1)で、渋沢栄一翁没後90年特別講演会「故渋沢子爵葬儀の実況」が開催された。
1931年11月11日、渋沢翁は91歳の生涯を閉じた。今年2021年は、渋沢翁の没後90年にあたる。この講演会は、渋沢翁を偲び、その命日に合わせて開催されたもの。
当日は渋沢史料館副館長桑原功一氏による当時の葬儀映像の解説と、区内の渋沢翁ゆかりの方々によるトークショーの2部制で、参加者たちは、貴重な資料の数々に関心の目を向けるとともに、登壇者の話に熱心に耳を傾けていた。
(写真:講演会の様子)

北区では、2024年に発行される新紙幣の肖像に区ゆかりの渋沢栄一翁が選定されたことを受け、2019年から区内関係団体との公民連携により「東京北区渋沢栄一プロジェクト」を推進している。同プロジェクトは、新紙幣発行までの機運を高め、渋沢翁の功績や区の魅力を発信することにより、北区の知名度向上とイメージアップへとつなげていくことを目的とし、様々な事業を展開している。

この日、同プロジェクトの取り組みの一つとして、北とぴあ2階つつじホールを会場に、新型コロナウイルス感染症拡大防止対策を徹底しながら、渋沢栄一翁没後90年特別講演会「故渋沢子爵葬儀の実況」が開催された。

第一部は、渋沢史料館副館長の桑原功一氏が、渋沢翁が亡くなるまでの細かな状況を説明した後、昭和6年当時の渋沢翁葬儀の実況映像を見ながら解説を行った。渋沢翁がいかにして人生の最後を迎え、どれ程多くの人々に惜しまれて見送られたかを知ることができる貴重な内容であった。参加者は、渋沢翁を見送る長い葬列を実際の映像で目の当たりにし、当時の有名人も多数見られた様子に驚きを隠せないようであった。

第二部は、区内の渋沢翁ゆかりの方々によるトークショーを実施。登壇者は、第一部に引き続き、渋沢史料館の桑原副館長とともに、明美製菓店主の久保裕子氏、NPO法人子育てママ応援塾ほっこり〜の代表の内海千津子氏の3名で、進行役として、主催である東京北区大河ドラマ「青天を衝け」活用推進協議会会長の越野充博氏が登壇した。「渋沢栄一にまつわるエピソードや取組み」「渋沢栄一のここがすごい!」などのトークテーマをもとに、多彩なトークが繰り広げられた。区内で活躍する登壇者の軽快なトークに、参加者は時折頷きつつ笑顔を見せながら耳を傾けていた。

当日参加した女性は、「大河ドラマで渋沢栄一さんを初めて知り、その人物像に興味を持つようになり、ドラマ館と史料館も行きましたし、本や漫画も沢山読みました。自分と同じ年齢の時に渋沢さんが成し遂げた功績を見て、偉大な人である事を実感します。一方で今日の講演会でも聞けましたが、とても人間味のある一面を持っているところも魅力です。」と嬉しそうに語ってくれた。

*渋沢翁と北区の関わり
渋沢翁は、1877(明治10)年飛鳥山の土地を購入し、1879(明治12)年から別荘として使用し始めた。1901(明治34)年(61歳の頃)以降は本邸として住み、1931(昭和6)年11月11日に91歳の生涯を終えるまで飛鳥山で過ごした。「職住近接」の理念のもと、自ら設立に関わった抄紙会社(現在の王子製紙株式会社)の工場を近くで見守るとともに、多くの賓客を招き社交や民間外交の場として飛鳥山の邸宅を活用した。
現在の飛鳥山公園の一角にある旧渋沢庭園内には、国の重要文化財に指定された大正期の2つの建物、「晩香廬」と「青淵文庫」が当時のままの姿で残っており、本邸があった場所には、公益財団法人渋沢栄一記念財団の付属施設である渋沢史料館がある。

(令和3年11月6日プレスリリース)

お問い合わせ

所属課室:政策経営部シティプロモーション推進担当課 

東京都北区王子本町1-15-22 北区役所第一庁舎3階1番

電話番号:03-3908-1364