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掲載開始日:2024年5月17日
最終更新日:2024年5月17日
令和6年5月17日(金曜日)に開催された文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、旧岩淵水門(通称:赤水門)(東京都北区志茂5丁目地先)を新たに重要文化財として指定するよう、同審議会から文部科学大臣へ答申された。今後、官報告示を経て、重要文化財に指定される予定。
区では、令和6年10月12日に荒川放水路が通水100周年の節目を迎えることから、荒川下流河川事務所と連携し、記念事業等を実施する。重要文化財への指定を契機に、地域での一層の盛り上がりが期待される。
(写真:旧岩淵水門(赤水門))
文化審議会(文化庁)では、令和6年5月17日(金曜日)に開催された文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、旧岩淵水門(通称:赤水門)(北区志茂5丁目地先)を含む8件の建造物を重要文化財に新規指定することを文部科学大臣へ答申した。
この発表を受け、東京都北区のやまだ加奈子区長は「地元の人々に「赤水門」という愛称で親しまれ、北区はもとより、首都東京の人々の暮らしを洪水から守ってきた旧岩淵水門が、荒川放水路通水100周年となる今年、その価値が認められたことを非常にうれしく思っている。もうすぐ河川敷の菖蒲も開花し、少ししたら見ごろを迎えるので、この機会に、旧岩淵水門を訪れ川の魅力を再発見していただきたい。」とコメントした。
北区では、荒川放水路が令和6年10月12日に通水100周年の節目を迎えることから、荒川下流河川事務所(国土交通省)と連携しデザインマンホールを設置するほか、飛鳥山博物館で記念企画展を開催する。また、令和6年度から新たに「北区岩淵周辺地区かわまちづくり計画協議会」を設置し、水辺を活用したまちづくりを展開する。
荒川と隅田川の分岐点に設けられた水門。内務省東京土木出張所の青山 士(あおやま あきら)が設計を担当し、大正5年に着工、同13年に竣工した。全長約62メートルを測る本体には通船路を含め5門の鋼製引上扉が開き、両脇には袖壁が取り付く。躯体全体に鉄筋コンクリートを用いた先駆的な水門であり、特に基礎は、浄水を注いだ井筒状の基礎と分厚い床版を併用して堅固に築く。関東大震災等に耐え、首都東京を水害から守り続けた頑強なつくりは大正期における河川構造物の技術的達成度を示す。近代有数の治水工事である荒川下流改修工事の要となる施設として近代治水史上、価値が高い。
荒川放水路通水100周年を迎える事を機に、関係者(沿川2市7区の首長及び東京都、埼玉県)の連名で「荒川放水路通水100周年行動宣言」としてとりまとめ、公表するとともに、具体的な取り組みとなる荒川放水路通水100周年記念事業の概要を公表した。区では、荒川放水路通水100周年記念事業の取り組みとして、荒川放水路通水100周年記念デザインマンホールを通水式が行われた10月12日までに設置することを目指している。
マンホールのデザインは、百年の想いを振り返り、荒川放水路に関わった全ての人々への感謝と、河川と共に育んできた文化を発信するため、ロゴマークと荒川周辺で楽しむ区民を描いており、設置箇所については、新志茂橋周辺、赤羽岩淵駅周辺、赤羽駅周辺に各1個ずつを設置する予定。
荒川の水害を解決するために、明治44年から20年余りの工期を費やして荒川放水路の開削工事が行われた。旧岩淵水門も大正13年に完成し、荒川が増水した際に、当時の荒川放水路(現在の荒川)と荒川(現在の隅田川)の流量を調整する重要な役割を果たした。その当時の水害の様子や工事の様子を貴重な写真資料等の展示で紹介する。
7月23日(火曜日)~9月1日(日曜日) 月曜休館
北区飛鳥山博物館 特別展示室 観覧無料
北区では、荒川沿川赤羽岩淵周辺を対象エリアとして、河川空間とまち空間が融合した良好な空間形成を目指し、今年度新たに「かわまちづくり計画」の策定に着手する。計画に位置付けた、河川敷地の多様な利用を可能とする地域のニーズに対応したソフト・ハード施策について、国(河川管理者)の支援を受けることにより、かわまちづくりを実現する。
(令和6年5月17日プレスリリース)
お問い合わせ
(1)文化財の概要について
(3)飛鳥山博物館記念企画展について
飛鳥山博物館
電話番号:03-3916-1133
(2)デザインマンホールについて
道路公園課
電話番号:03-3908-9213
(4)かわまちづくりについて
まちづくり推進課
電話番号:03-3908-9154