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最終更新日:2022年4月26日

4月26日 生徒の様子

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歯科検診をおこないます。

午前9時より歯科検診を保健室でおこないます。全学年が対象となります。
1. う歯(虫歯)があるかどうか
2. かみ合わせの状態
3. 歯磨きの様子
4. 口腔内に病気や異常があるかどうか
5. 歯肉の状態
以上の項目等について、検診していただきます。

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今日の授業

3組 体育

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1年 数学 1年 理科

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2年 学活

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3年 技術 3年英語少人数

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今日の給食

今日の給食は、野菜のしょうが醤油和え・鯖のみぞれ煮・かきたま汁・ごはんでした。美味しかったです。

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校長より1年生に渋沢栄一副読本・高峰譲吉博士物語等についてお話をさせていただきます。

 高峰譲吉博士物語は、NPO法人高峰譲吉博士研究所から今年も1年生全員に贈呈されました。毎年本当にありがとうございます。マンガでとても読みやすいので、ぜひ楽しみに読んでください。

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現在の2年生が1年生の時に書いた感想が、NPO法人高峰譲吉博士研究所の会報に載っています。全国誌の研究雑誌に堀船中の生徒の感想を載せていただけることも本当に素晴らしいことですね。

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5月18日には、飛鳥山方面に歴史散策を阿久津が案内人として行いますが、その事前指導を兼ねて行います。渋沢栄一と高峰譲吉との関係については、堀船中学校だよりがベースになって副読本に描かれていますので、その文章も掲載しておきます。

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偉大な科学者 高峰譲吉と渋沢栄一
高峰譲吉は、嘉永7(1854)年に、加賀前田藩の御典医を代々務める高峰家の長男として、現在の富山県高岡市に生まれました。幼い頃から秀才で、明治6(1873)年には日本初の工業大学・工部省工学寮(現在東京大学工学部)に一期生として入学しました。高峰が医者の息子であるのに医学を選ばなかったのは、窮乏する農家を救うためだったそうです。当時はまだ、化学肥料が普及していなかったので、化学肥料を研究すれば、不作に苦しむ農村を救うことができると考えていたのです。
【渋沢栄一の協力で日本初の人造肥料会社を設立】
高峰は勉学に励み、イギリスに留学し、化学肥料製造の研究に明け暮れました。帰国後高峰は、農商務省に入省し、明治17(1884)年には、アメリカ南部のニューオーリンズで開催される万国工業博覧会に事務官として参加。欧米の進んだ化学肥料に触れたことで、日本でも肥料を工業化すべきだという思いを持つようになりました。
帰国した高峰は、さっそく化学肥料の工業化に乗り出し、北区にゆかりのある渋沢栄一に協力を依頼しました。化学肥料の効能を熱心に語る高峰に渋沢は賛同しました。明治20(1887)年、高峰は渋沢の助力を得て、日本初の化学肥料会社である東京人造肥料会社を設立しました。この会社は、かつて豊五丁目団地の位置にあった関東酸曹と合併しました。現在は日産化学となっています。
【世界初の消化酵素剤の発明】
念願の肥料会社を設立すると、化学肥料は徐々に農村に浸透していきました。そんな時、アメリカの大手ウイスキー会社からウイスキー製造の技術指導の依頼がきました。高峰は、化学肥料を研究する一方、日本酒などの製造に用いる麹を安く大量に製造する方法を開発し、アメリカなどで特許を申請していたからです。高峰は、悩んだ末に渡米しましたが、人造肥料会社は赤字に次ぐ赤字でした。しかし、渋沢栄一が、自ら借金をしてもこの工場を成功させなければならないと決心して、見事に事業を立て直し、現在の日産化学へと連なる会社の礎を築きました。
高峰の開発した麹は非常に優れており、ウイスキーの製造に要する時間を一気に短縮しました。会社はこの結果に驚き、高峰の製造方法で仕事を失うことを恐れた業者が反発。高峰自身も暗殺されかけるなどの妨害にあい、工場も原因不明の不審火で焼け落ちてしまいました。ウイスキー製造を断念した高峰は、シカゴに残って研究を続けました。明治27(1894)年、研究の過程で、モルトからデンプンを分解する消化酵素の分離に成功し、その消化酵素を自分の高峰の「タカ」を取り入れて「タカジアスターゼ」と命名しました。高峰の発明した消化酵素剤は大ヒットし、世界中で販売されるようになりました。明治32年(1899)年には、高峰が協力して、日本でのタカジアスターゼの販売を行う三共商店が創業しました。三共商店は後に三共株式会社(現・第一三共株式会社)へと発展し、高峰はその初代社長に就任しました。

【世界で初めてアドレナリンを発見】
高峰には、もう一つ隠れた偉業があります。それは、アドレナリンの発見です。アドレナリンは動物の副腎(腎臓の隣にある臓器)から分泌されるホルモンの一種で、血圧を高める働きがあるために、今では外科手術や喘息の治療薬として使われています。当時、まだその抽出には誰もが成功しておらず、世界中の学者が競って研究をしていました。明治33(1900)年、世界の研究者を出し抜き、牛の腎臓から抽出し、結晶の製造に成功しました。
翌年、高峰は、その化学物質を「アドレナリン」と名付けました。この発見により、一躍世界的な科学者となったのです。「アドレナリンが出た」という言葉は、興奮したときによく用いられ、みなさんも聞いたことがあると思います。その言葉は、明治の日本人科学者が作ったものなのです。そして、この偉大な科学者高峰譲吉もまた、王子を「近代の大工業地」に変えた渋沢栄一に大きな支援を受けた1人なのです。

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1年生が私の話を一生懸命聞いてくれて、とってもありがたがったです。
朝読書の時間などに、高峰譲吉物語を読んでさらに理解を深めてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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