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最終更新日:2016年3月21日

赤羽駅の誕生

 明治18年3月1日、日本鉄道が赤羽品川間に山の手線を開通させ、新橋から品川赤羽間を結びました。この日こそ赤羽駅が、山手線の終点として、また高崎線の王子の次にとまる駅となった記念すべき日です。(場所は、赤羽462番地。今は線路上)
 このことで、岩淵の宿が次第に交通の要所でなくなっていきます。東北線もこの年に開通し、いっそう赤羽駅が重要な位置を占めるようになっていきました。
 初めて汽車の通ったことの喜びは大変大きく、村の人々は「汽車を利用して遠くへ出かけられる」と思ったにちがいありません。赤羽駅から板橋を通って品川に出るまでは私鉄でしたが、新橋品川間は国鉄でした。それでも、赤羽から新橋行きの汽車ができたのです。
 山手線に汽車が通りましたが、池袋駅すらなく、池袋一帯は大根畑でした。板橋から目白、新宿というように駅ができました。しかし、汽車の窓から見る風景は畑や野原のさびしい姿ばかりで、この線に乗る人は大変少なかったそうです。

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旧赤羽駅

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