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最終更新日:2016年3月21日

明治36年の大火

 新校舎ができてわずか半年後、私達の学校が焼失してしまいました。明治36年6月4日のことです。
 この日に、汽車の火の粉(こ)が原因で、袋で火事が起きました。それが北風にあおられて大火となり、赤羽のいわゆる街道筋(かいどうすじ)の目ぬきのところは全焼(ぜんしょう)という大打撃(だいだげき)を受けたのです。小学校も巻き添え(まきぞえ)になってしまい、全焼したそうです。
 石井隆三氏の談によると、「大火の勢はものすごく、今の駅のところの踏切(ふみきり)をこえて、西口の方まで燃えてしまいました。岩槻街道の東側は赤羽のはずれまで燃えてしまいました。けれども、西側は相当無事な家が多かったのです。これは草葺(くさぶ)きの家と瓦葺(かわらぶ)きの家との差にもよったようです。袋から赤羽にかけてはまだまだ草葺きの家が多く、そのため大火になり、全焼してしまいました。」とのことでした。
 全部で約210戸焼失しました。
 しかし、この火事がきっかけで、赤羽一帯は新しい町に変わっていきました。復興(ふっこう)した家に草葺きの家はほとんどなくなり、瓦葺きの家が多くなりました。

 焼けた私達の小学校は、とりあえず各寺院に児童を収容して分けて授業をしました。しかし、不便なので、さらに町役場や宝幢院(ほうどういん)を借りることにしました。

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