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最終更新日:2016年3月21日

なぜ移転したか

 明治16年に鉄道がしかれることになりました。はじめは上野から板橋、川越(かわごえ)を通って高崎(たかさき)へ行く、中仙道(なかせんどう)ぞいの計画でした。しかし、板橋や川越の人々が猛(もう)反対をしたのです。中仙道の宿場が鉄道のためにさびれてしまうと思いこんでしまったのです。そこで、しかたなく赤羽から大宮を通って熊谷(くまがや)、高崎へと路線が変更(へんこう)されたのです。もし誤解(ごかい)がなかったら、赤羽には駅がなかったことになります。
 この新計画によって、赤羽小学校のあった福寿院(ふくじゅいん)が線路上になることになり、やむなく赤羽316番地の宝幢院(ほうどういん)を教室とすることにして、明治16年1月に移転(いてん)したのです。
 境内(けいだい)敷地(しきち)200坪(1坪(つぼ)=3.3㎡)、本堂平屋借家建坪(ほんどうひらやしゃくやたてつぼ)60坪となり、相当広くなりました。このころは、まだ中等科までしかなく、先生は中等初等とも各1名、助教1名でした。このとき赤羽学校は公立赤羽小学校になったのです。

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東京都北区立 赤羽小学校

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