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最終更新日:2016年3月21日

設立に至るまで

 明治5年8月の学制発布(がくせいはっぷ)で、まず上十条(かみじゅうじょう)の西音寺に「荒川小学校」が設(もう)けられました。稲付(いなつけ)方面の寺小屋に通っていた児童がこの小学校に通うようになった者もいるそうです。
 明治8年ごろになると稲付や赤羽から荒川小学校へ通う者が少しふえたので、荒川小学校を稲付の香取神社付近に移転(いてん)させ、別にもう1校、豊島の紀州(きしゅう)神社のそばにある観音寺(かんのんじ)に豊川(とよかわ)学校を設立したいという願書(ねがいしょ)を出したのです。その結果、豊川学校設立は許可されました。しかし、荒川小学校の稲付移転は許可されませんでした。
 そこで、赤羽、袋、岩淵の人々が、別に小学校の設立を考えることになりました。学校の名前は、荒川の境(さかい)という意味から「境川学校」と決めました。「公立小学校設立願」にもこの名前が記されています。
 しかし、その後、反対にあって、願書を出す直前に「赤羽学校」と訂正(ていせい)したそうです。7月17日に許可になり、福寿院(ふくじゅいん)という稲付の鳳生寺末にあたる寺が赤羽九拾九番地にあり、無住となっていたので使うことにしました。番地は現在と全く異なります。現在は東北線上になってしまっています。8月12日に第4中学区第17番小学校として開校しました。これが今の赤羽小学校の始まりです。

お問い合わせ

東京都北区立 赤羽小学校

〒115-0045 北区赤羽1-24-6

電話番号:03-3901-8510

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