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最終更新日:2016年3月21日

寄合と夜

 明治の末頃は、集まって飲み食いするのが何よりの楽しみでした。お日待ち講、庚申講(こうしんこう)、何々講といったものや、お盆(ぼん)、お彼岸(ひがん)など、何かと名目(めいもく)をつけては集まりました。こうした寄合(よりあい)が人々の親近感(しんきんかん)を強め、町として、あるいは小地域(しょうちいき)として、まとまりをみせました。
 しかし、こうした寄合(よりあい)へ夜出て行くことが大変だったようで、電気のついたのは多くは明治の40年代から大正の初め頃でした。それまでは、大部分の人は家ではランプの生活、夜の外出はちょうちんがたよりだったようで、夜の暗さなど今の人には想像(そうぞう)もできないほどだったようです。よほど夜は暗かったのでしょう。

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