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最終更新日:2023年1月18日
今年度テーマは「給食タイムトラベル」です。
時代の変化に伴い、給食も変化してきました。学校給食週間中は、保護者や教員から「思い出の残った給食」を募集し、多く挙がったメニューを取り入れました。「今」「昔」の給食メニューを知り、味わうことで、学校給食の意義や役割について理解と関心を深めてほしいと思います。
献立紹介
玄米入りごはん(山形県産)・牛乳・鮭の塩焼き・たくあん和え・米粉のすいとん・みかん
学校給食の始まりは、明治22年(1889年)。山形県の私立忠愛小学校で、貧しくてお弁当を持ってこられない子のために食事を出したのが始まりです。そのときの献立は「おにぎり・塩鮭・菜の漬物」でした。それにちなみ、給食は山形県産のお米を使った「玄米入りごはん」と「鮭の塩焼き」にしました。
それからは、給食が子どもたちにとって大変良いものだと認められていき、だんだん日本中に広がっていきました。その後、戦争のため一時中止となりましたが、昭和22年(1946年)子どもたちの栄養不足を改善するため、正式に再開されました。その前年、12月24日に東京・神奈川・千葉で試験給食が実施され、この日を「学校給食記念日」としました。しかし冬休みの時期のため、1か月後の1月24日から1週間が「全国学校給食週間」となっています。
コッペパン・いちごジャム・牛乳・くじらの竜田揚げ・キャベツサラダ・野菜スープ
コッペパン&くじらの竜田揚げは、昭和30年頃よく出ていたメニューです。
みそラーメン・牛乳・ミルメーク・大豆とじゃこの甘辛揚げ・いちご
思い出の給食で多く挙がったのが「ソフト麺」でした。ソフト麺は昭和38年に登場し、独特の触感と食べ方で印象に残っている人が多いようです。残念ながら、衛生基準が変わり、現在は給食に出せません。なでしこ小の給食では、北区内にある製麺工場の中華めんを使用しています。
「ミルメーク」も多く挙がりました。ミルメークは、昭和42年に発売された、牛乳に溶かすとコーヒー牛乳に変身する粉です。現在は、紙パックの牛乳に入れやすいチューブタイプの物もあります。
わかめごはん・牛乳・ムロアジのハンバーグ・小松菜のおひたし・根菜ごまキムチ汁
現在の給食は「生きた教材」であり、栄養・マナー・食文化など多くのことを学ぶことができます。今日の給食は、思い出メニューのわかめごはんと、東京都産の食材(ムロアジ・にんじん・亀戸大根・里芋・白菜キムチ・小松菜・牛乳・塩)をたっぷり使った献立です。
きなこ揚げパン・牛乳・太平燕・フルーツヨーグルト
今も昔も人気のメニュー「揚げパン」。揚げパンは、昭和27年に大田区の給食担当の職員が考案したと言われています。きなこが定番ですが、ココアやシナモンなど色々なフレーバーが登場しています。また、太平燕(タイピーエン)は、熊本県の郷土料理です。
1位 | 揚げパン | 22票 |
---|---|---|
2位 | ソフト麺 | 14票 |
3位 | ミルメーク | 7票 |
4位 | わかめごはん | 6票 |
5位 | 牛乳、みそラーメン、カレーライス | 5票 |
思い出の給食、堂々のNo.1は「揚げパン」でした。「おかわりじゃんけんが白熱した」「あげパンの日は全員揃った」などのエピソードが多く挙がりました。
現在の人気メニューでもある「カレーライス」のエピソードも多く寄せられました。カレーは「海藻サラダとセットだった」という人が多かったです。
年代によって好きなメニューに差はありますが、楽しい給食の思い出は共通ですね。「あのメニュが苦手だった…」という思い出ももちろんありましたが、それよりも圧倒的に「おいしかった」「楽しかった」という思い出が多いのが印象的でした。アンケートにご協力くださった皆様、ありがとうございました。
こちらに掲載しきれなかった「給食の思い出」は、学校の1階エレベーターホールに掲示しています。学校公開等で来校の際ご覧ください。
学校給食週間中には、第2回給食総選挙の結果発表を行いますので、ぜひご家庭で話題にしていただきたいと思います。これからも、なでしこ小は「安全」「おいしい」「楽しい」給食を提供していきます。
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